ご参考:酒造りの未来と宮木博士に協力してくださっている酒蔵ご当主たち
日本の伝統的酒造りを、次の世代へ
日本の伝統的酒造りの循環するエコシステムと、酒類業振興関係予算、5つの提言をまとめたインフォグラフィック(監修:宮木幸一博士)
2024年12月、「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。
日本の伝統的な酒造りは、こうじ菌を巧みに利用し、杜氏や蔵人が長年の経験と技術を積み重ねながら発展させてきたものです。その技術は日本酒だけでなく、焼酎、泡盛、みりんなどにも受け継がれています。文化庁によれば、その原型は500年以上前に確立したとされています。
これは、日本の食文化にとって大きな誇りです。
しかし、文化は「保存する」だけでは未来につながりません。
技術を受け継ぐ人がいて、原料を作る人がいて、酒を造る場所があり、そしてその価値を理解して購入する人がいて、初めて伝統は生きた文化として続いていきます。
53.2億円
令和9年度 酒類業振興関係 総額(国税庁概算要求)
27.9億円
輸出促進等(海外市場の開拓・販路拡大等)
15.4億円
酒類事業者向け補助金等(経営基盤の強化等)
出典:国税庁「令和9年度(2027年度)酒類業振興関係 予算概算要求」
灘の酒造り ― 泉酒造・池本醤油との縁、そして循環するエコシステム
灘五郷・御影郷の老舗蔵「泉酒造」(1756年創業、代表銘柄「仙介」)は、1995年の阪神・淡路大震災で仕込み蔵を失い、実に12年間酒造りを中断せざるを得ませんでした。それでも2007年、先代の名を継いだ「仙介」で灘での酒造りを復活させた、震災復興の当事者でもある蔵元です。同じく神戸市内で唯一の醤油蔵として140年余りの歴史を持つ「池本醤油」(神戸市西区櫨谷町、1885年創業、屋号「菊むらさき」)も、木造の醤油蔵が阪神・淡路大震災に耐え抜き、六甲山系の伏流水と地元産大豆・小麦で伝統製法を守り続けてきた老舗です。監修者・宮木幸一博士が能登半島地震などの被災地支援活動を続けるなかで、震災復興の経験を持つこの泉酒造・池本醤油の両蔵に、ご協力をいただいてきました。自らも一度酒造り・醤油造りの継続を揺るがされながら、地域とともに立ち上がってきた蔵だからこそ、「災害から食文化の産地を取り戻すこと」の重みを、身をもって伝えてくれる存在です。
泉酒造にて。泉酒造当主の泉社長、杜氏の和氣取締役、池本醤油当主の池本社長、宮木幸一博士による記念写真
1840年頃
名水「宮水」の発見(櫻正宗・山邑太左衛門)
清酒25社
現在、灘五郷酒造組合に加盟する蔵元数(みりん1社を含む)
兵庫県の沿岸部、西宮市今津から神戸市灘区大石まで約20キロメートルに広がる灘五郷(今津郷・西宮郷・魚崎郷・御影郷・西郷)は、日本酒生産量で全国トップを誇る、日本最大の酒どころです。その酒造りは元弘・建武の頃(1330年頃)にまで遡るとされ、江戸時代中期の1700年代には池田・伊丹(現大阪府)をしのぐ名声を獲得しました。灘の酒はまさに、このページで語ってきた「麹・米・水・人・地域をつなぐ循環するエコシステム」を、数百年にわたり体現してきた土地だといえます。
宮水 ― 発酵を後押しする中硬水
灘の酒質を決定づけているのが、天保年間(1840年頃)に発見された仕込み水「宮水」です。日本の水の多くが軟水であるのに対し、宮水はリン・カリウム・カルシウムを豊富に含み、鉄分がほとんどない中硬水。これらのミネラルが麹菌や酵母の働きを活発にし、発酵を早め、灘特有の力強く淡麗な「男酒」「灘の生一本」を生み出しています。
山田錦と丹波杜氏 ― 米と人の力
灘五郷では、酒造好適米の最高峰とされる山田錦(兵庫県が主産地)を中心に、播州米が古くから使われてきました。仕込みを担うのは、南部杜氏(岩手県)・越後杜氏(新潟県)と並ぶ日本三大杜氏の一つ丹波杜氏。六甲おろしの寒風と吉野杉の樽も、灘の酒を育んできた欠かせない要素です。
灘五郷全体も1995年の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けましたが、耐震化を進めながら近代化と復興を遂げ、現在も日本酒生産量全国1位(令和5年度統計)の地位を保っています。宮水・山田錦・丹波杜氏という「水・米・人」の結びつきは、まさに本稿で述べてきた「酒蔵を守ることと酒米農家を守ることは同じこと」というテーマの原点であり、泉酒造や池本醤油のように一度断たれた酒造り・醤油造りを地域とともに取り戻した蔵の存在は、災害からの復興と伝統的な発酵文化の継承が地続きであることを示しています。
各地に広がる酒米支援の取り組み
酒米価格高騰への対応は、特定の一つの県だけの取り組みではありません。国税庁の調査によれば、令和7年度は38道府県84市町村・157事業、令和8年度も新たに14県16市町・32事業が、国の重点支援地方交付金等を活用した酒蔵・酒米関連の支援を実施・計画しています。ただし、その多くは「酒蔵が購入する酒米の値上がり分を補助する」仕組みであり、酒米農家そのものを直接支援する制度はまだ少数派です。
| 都道府県 | 制度名 | 支援対象 | 支援内容(代表例) | タイプ |
| 兵庫県(灘五郷を含む) | 酒米価格高騰対策支援事業 | 県内酒造会社 | 令和6年産からの購入価格上昇分の1/2(事業費7.89億円) | 酒蔵支援型 |
| 愛知県 | 2026年愛知県酒米価格高騰対策支援金 | 県内の日本酒等製造事業者 | 2025年愛知県産酒造好適米1俵あたり4,550円、加工用米1俵あたり4,150円を支援 | 酒蔵支援型 |
| 新潟県 | 新潟清酒原料米価格高騰対策支援事業 | 県内酒蔵 | 県産酒造好適米の購入費上昇分の1/2(事業費3.68億円) | 酒蔵支援型 |
| 山形県 | 県産日本酒生産基盤強化事業 | 県内酒蔵 | 酒造好適米の価格上昇分の1/2~1/3を段階的に支援 | 酒蔵支援型 |
| 福島県 | 清酒原料米高騰対策事業 | 県酒造組合経由で県内酒蔵 | 令和6→7年産の価格上昇分の1/2以内 | 酒蔵支援型 |
| 岩手県 | 県産酒米安定確保支援事業 | 県内清酒製造業者 | 酒造好適米1俵13,070円を基準額に、購入費の1/2以内を補助 | 酒蔵支援型 |
| 宮城県 | 宮城県産清酒生産基盤強化支援事業 | 県内清酒製造業者 | 酒造好適米1俵6,600円等、品種別の交付単価×購入数量 | 酒蔵支援型 |
| 青森県 | 県産酒米価格高騰緊急対策事業 | 県内清酒製造業者 | 上昇分の1/2以内(上限:酒造好適米5,500円/60kg) | 酒蔵支援型 |
| 富山県 | 原料米価格高騰対策緊急支援事業 | 清酒等の米加工食品製造事業者 | 購入費用の1/2以内(酒造好適米200円/kg等、上限500万円) | 酒蔵支援型 |
| 京都府 | 「京の酒」づくり緊急支援事業 | 酒蔵と酒米生産者の両方 | 酒米購入費支援(1/2)に加え、生産者への収量・品質向上支援(10千円/10a) | 酒蔵+生産者支援型 |
| 佐賀県 | 酒米作付応援支援事業 | 県内酒米農家(生産者) | 主食用米との販売価格差を、令和8年産の作付面積に応じて直接交付(山田錦5,000円/10a等) | 農家直接支援型 |
| 山形県 大江町 | 物価高騰対応酒造好適米生産支援事業 | 酒造好適米を作付ける農業者 | 品種ごとに14,000~38,000円/10aを作付面積に応じて交付 | 農家直接支援型 |
| 茨城県 | いばらきの酒米生産振興緊急支援事業 | 県内で酒造好適米を栽培し酒蔵へ出荷する農業者 | 20,000円/10aを生産者へ直接交付 | 農家直接支援型 |
| 長野県 大町市・松川村・池田町等 | 酒造好適米生産者緊急支援事業等 | 酒米生産者(JA・契約栽培者) | 主食用米との取引価格差に相当する額を、俵単位で生産者へ補填 | 農家直接支援型 |
出典:国税庁「重点支援地方交付金による酒蔵等への支援措置一覧」(令和7・8年度)、愛知県・岩手県・宮城県ほか各都道府県公表資料
この一覧から見えてくるのは、支援の大半が「酒蔵が酒米を高く買った分を後から埋め合わせる」仕組みだという点です。これは急激な価格変動への緊急避難として重要ですが、酒米農家自身の収益や将来の作付け判断に直接届く仕組みは、佐賀県・茨城県・長野県の一部自治体など、まだ限られた事例にとどまっています。「酒蔵を守ること」と「酒米農家を守ること」を同じ土台の上に置くためには、こうした酒蔵支援型の制度に加えて、佐賀県や長野県の一部自治体のように、生産者が直接メリットを実感できる仕組みを広げていく必要があるでしょう。
酒造りを支えているのは「米」と「人」です
日本酒の原料となる酒米、とりわけ酒造好適米は、一般的な主食用米とは異なる性質を持っています。
農林水産省によれば、酒造好適米は主食用品種に比べて栽培が難しく、収量が低いことなどから、従来は主食用米より高値で取引されてきました。一方、近年は主食用米価格の大きな変動もあり、酒造好適米をめぐる価格や生産の環境も変化しています。
酒蔵にとって酒米は単なる原材料ではありません。その土地の気候、土壌、水、品種、栽培技術、そして農家の経験が、最終的な酒の個性につながっています。
したがって、日本酒を持続可能な産業として発展させるためには、酒蔵だけでなく、その前段階にある酒米生産者まで含めた仕組みを考える必要があります。
「酒蔵を守ること」と「酒米農家を守ること」は同じことです
日本酒の価値を考えるとき、私たちはどうしても完成した「酒」に目を向けます。しかし、その酒は、長い連鎖の上に成り立っています。
米をつくる人→
酒米を育てる人→
米を受け取る酒蔵→
杜氏・蔵人が仕込む→
日本酒になる→
消費者が味わう
このどこか一つが持続できなくなれば、伝統的酒造り全体が弱くなります。
特に重要なのは、酒米農家が「来年も酒米を作ろう」と思える環境です。単年度の価格だけではなく、将来の需要を見通すことのできる安定した取引関係をつくることが、酒米生産の継続には重要です。
農林水産省も、酒造好適米について需要量や生産状況だけでなく、産地と酒造メーカーとの結びつきや、日本酒原料米の安定取引に向けた取り組みを調査・公表しています。
伝統を「補助金」だけで守らない
価格高騰などへの公的支援は、急激な環境変化から酒蔵や生産者を守るために重要です。しかし、補助金はあくまで一時的な支えです。
「来年も作れる」「来年も買える」「適正な価格で取引できる」
という持続的な関係をつくることではないでしょうか。
例えば、酒蔵と酒米農家が複数年の契約を結び、必要量と価格の見通しを共有する。農家は安定した需要を得ることができ、酒蔵は必要な酒米を確保しやすくなります。
これは単なる取引ではありません。日本酒の未来を一緒につくるパートナーシップです。
海外で高まる日本酒の価値を、産地にも還元する
日本酒は国内だけでなく、海外でもその価値が認められるようになっています。しかし、海外市場で日本酒の価格や評価が高まったとしても、その価値が酒米を生産する農家まで自動的に届くわけではありません。
海外で日本酒の価値を高める→
日本酒の付加価値が高まる→
酒蔵の経営基盤が強くなる→
酒米農家との安定した取引→
産地の生産基盤が維持される
日本酒を「輸出する商品」としてだけではなく、日本の米、水、麹、技術、地域文化を一体として伝える文化産業として育てていくことが求められます。
伝統とは、変わらないことではありません
伝統を守るというと、「昔の方法をそのまま残すこと」と考えがちです。しかし、伝統的酒造りが今日まで続いてきたのは、それぞれの地域の人々が、その時代の環境に応じて技術を工夫し、次の世代へ伝えてきたからです。
昔ながらの麹室や手作業を大切にすることも重要です。同時に、科学的な研究、データによる品質管理、気候変動への対応、農業技術の進歩、新しい販売方法や海外市場への展開も取り入れていく必要があります。
守るべきものを守りながら、変えるべきものは変える。それこそが、伝統を未来へつなぐ方法ではないでしょうか。